
宇検村の生勝集落は昔から染色が盛んな村で、生勝の先の方にある離れ島の枝手久島は大島紬の染料にするテーチ木(シャリンバイ)がたくさん生えていました。

生勝集落に住む男とその甥は、二人で板付け舟を漕いで毎日テーチ木を伐りに枝手久島に行っていました。ある日、仕事に夢中になり、あたりがすっかり暗くなってきたので、あわてて荷を積んで舟を漕ぎ始めました。そして、しばらくするとどんなに漕いでも舟が進まなくなったのです。男は(ははー、ケンムンが邪魔しているな)と気づいたのですが甥はそれがわからず、「叔父、叔父、舟が進まないのはどうしてだろう」と騒ぎ立てました。

男はこわばった口調ながらも「物言うな」と甥を落ち着かせました。こんな時に文句を言うと言った人に罰が当たるのを知っていたのです。生勝にむけて進まないのはケンムンの行きたい目的地があるからだと思い、久志集落に舟を向けてましたが進みません。宇検集落に舟を向けても進みません。二人の男は焦りはじめ、ええいと無人の砂浜に舟をむけたらとたんにぐいぐいと舟が走り始めました。やがて白浜の浜に舟が近づくと、なんと三十ばかりの火の玉が一斉に丘に並び始めたのです。

これを見た二人はただごとじゃないと察し、必死の思いで生勝めがけて漕ぎ戻りました。物言わぬおかげで二人は無事でしたが、あのまま騒ぎ立てていたらどうなっていたかと思うとぞっとするお話です。
(奄美の民話特集より引用 話者 坪山 豊)
奄美ではむかしから、日没後は外でケンムンの話はしてはいけないと言われています。また、人の話し方を真似て山奥に誘い出し、悪さをすることから野外では大きな声で話したり名前を呼んだりしてはいけないと言い伝えられています。

コメント
この記事へのトラックバックはありません。





この記事へのコメントはありません。